二兎を追わないものは,二兎を得ず

二兎を追うものは一兎も得ずというのは本当でしょうか。わが国では,「この道一筋」が尊ばれることもあり,余り疑問をもたれていないようです。

しかし,一度きりの人生(もちろんビジネスでも),何かを捨て去るのは惜しい場合もあります。もちろん,吟味した上で,不要なものはズバッと捨て去るべきです。しかし,そうでない場合は,「そもそも二兎を追うことが不利益になるという前提を疑う。」「二兎を得る戦略・戦術を練る。」ことに知恵を使うのが重要と考えています。そもそも「何かのために何かを犠牲にした。」という気持ちが残るのは,精神衛生上非常に良くないです。

例えば,仕事と家庭は完全に両立しますし,相乗効果も出せます。家庭を犠牲にして成功したとか聞くと,厳しく言えばその人の能力はその程度のものであるか,あるいは家庭のことをしたくないがためにそのような言い訳をしているのかとか考えてしまいます。

私は弁護士活動の中でも,依頼人の方のために,二兎とも得たい状況の中で,どちらかを捨てるという安易な解決ではなく,二兎を得る方法はないかといつも知恵を絞っています。そこにプロフェッショナルとしての価値があります。

ギブ & ギブン

ギブアンドテイクとよく言います。そのとおりと思います。ただ,「TAKE=とる。」という言葉になんとなく嫌な感触があるので,私は,ギブ&ギブンとしています。「与えて,取る。」ではなく「与えて,与えられる。」です。

これは永遠の重要な真理であり,最近では,ギブアンドギブアンドギブアンドギブなどと主張されている方もおり,そのとおりと思います。

ビジネスをしていれば(あるいは普通に生活していれば),経験的に,与えたこと以上のものが返ってくることを知っているし,仮に,そうでなくても「貸し」のまま一生を終えることは悪いことではありません。また,貸しはその人から返ってこなくても,別の人から返ってくることもあります。逆に,取っているばかりの人,借りばっかりの人が成功しようがないことも真理です。もう少し,俗っぽく言えば,いつの時代も,世の中は「貸し・借り」で成り立っています。これほど,役に立つ定理はないのに理解や実践できない人が多いのは摩訶不思議です。

ビジネスにおける「貸し」「借り」の使い方がうまく表現されているなと感じたのは,映画「ゴッドファーザー」におけるドン・コルリオーネを描いた部分,小説ではマシュー・クワーク著「THE 500」(アメリカのロビイスト会社を舞台にしたエンタテインメントです)です。いずれもその辺の機微がわかるしエンタテイメントとしてもおもしろいです。後者は少し露骨で誇張もありますが。

 

いわれなき批判や中傷を受けたりしたときの処方箋

経営をしていると,いわれなき批判や中傷を受けることがときどきあります。不愉快でいやなものです。そんなとき,私は,以下のとおり3つ自分に言い聞かせます。

1 批判や中傷(嫉妬,羨望に基づくものがほとんどです)を受けるくらいの成果を挙げたんだと自分を褒める。

2 そのようなことをいう人たちの言いなりになったり,気にしても,その人達がメシを食わせてくれるわけじゃない。自分のメシは自分で稼がないといけないと考える。

3 そういう人は,近いうちに勝手に自滅すると思う(事実,そのようになります)。

以上のとおり考えて,おいしい物を食べて,ぐっすり寝て忘れます。

まちがっても気にかけたり,反省したり,相手方に仕返ししようと考えたりしてはいけません。

日光の東照宮で考えたこと

宇都宮に出張に行ったので日光まで足を伸ばして東照宮,二荒神社,輪王子に参拝してきました。陽明門は残念ながら修理中で見られませんでした。実は,日光は初めての訪問でしたが圧倒されました。伊達政宗や黒田長政が奉納した灯籠や鳥居等も当時の徳川家の権勢を偲ばせます。

ところで,信長や秀吉にとっての東照宮はありません。家康が勝者,ナンバーワンであり,信長や秀吉は勝者になれなかったからです。これが現実です。

また,家康がなぜ勝者になったのか,長生きしたこと(健康で,戦場でも死ななかった)が少なくとも絶対的な必要条件であったことは間違いありません。身もふたも無いですか。一勝九敗でも再起できて最後に勝てれば天下を取れるし,九勝一敗でも致命的な敗北を喫してしまえばジ・エンドです。

ビジネスでは,一番を目指す戦略,そして勝つための死なない戦略,そして健康に留意することが大切であることを再認識しました。

東照宮の三猿。見猿,聞か猿,言わ猿。

東照宮の三猿。見猿,聞か猿,言わ猿。

 

 

 

運・不運

運・不運はビジネスの世界でも確実にあると思います。多くのお客さんとお付き合いをさせていただく中で,また,自分自身の弁護士としての活動の中で,いろいろ見たり経験したりしるなかで確信しています。

ただし,それは生来のものではなく,その人の考えや行動によりかなりコントロールできるような気がします。私が心がけているのは,「神様に嫌われないこと」。そのためには,「明るいこと」「素直なこと」「薄汚いことをしないこと」「きちんと挨拶ができること」あたりを当たり前に押さえておけば問題ないのではないでしょうか。

また,多くの人生の達人が,運の総量は一定であるとの考えをお持ちです。例えば,美輪明宏さんとか阿佐田哲也さんとか。全くその通りと思います。我々,弁護士は仕事柄,人の裏をみますので,世間からは一見完璧な人にも大きなマイナスの部分があることを知ってしまうことも多いのです。例に出して申し訳ないですが,某大企業の御曹司でカジノで身を滅ぼした人もそうでしょう。運の総量がある程度の幅に収斂するなら,どうでもいいことでは運を使わないこと,どうでもいいことで不運があったら喜ぶくらいでいること,戦略的にどうでもいいところで小さな不運を作っていくこと,大きな幸運がきたら浮かれずに警戒することである程度は対応できるのではないでしょうか。

私は,賭け事とかで負けても全然悔しくないですし,財布を落としても厄払いができたと本気で思っています。

闘わずに勝つのがベスト

闘わずに勝つのがベスト。当然のことです。我々,弁護士にとっての闘いの場は「裁判」ということになるでしょうか。しかし,裁判制度は,神様が天上世界からすべてを見ていて正義の判決を下してくれるわけではありません。人間である裁判官が法律と証拠に基づいて判断するだけですし,裁判官の能力差もあるし,裁判官も間違えることがあります。一般の方は,裁判になれば正義が実現されると思っているようですが,必ずしもそのようにならない場合も多数あります。その上,裁判は時間もお金もかかります。

われわれの事務所でも,かような現実をみて,なるべく裁判にしないことが依頼人にとってベストであるとの認識のもと対応しています。しかし,何でも譲歩していたら裁判にはならないでしょうが意味がありません。そこで,弁護士としての「絵を描く」能力が問われるのです。ベストのシナリオを書くには,やはり相手方の考えを見抜く洞察力や相手方の動きを予想する予測力が重要です。私は,子どもの頃「お絵かき」は最低でひどい絵ばかり描いていましたが,今やっている「弁護士としての絵描き」はかなり良い絵が描けていると自負しています。皆様も,弁護士に相談する際は,裁判になる前,しかもなるべく早く相談されることをおすすめします。

一つ例を挙げましょう。どうしてもやめさせたい社員がいたとします。そこで,いろいろ落ち度を探し,いきなり「解雇」をしていまう経営者がいます。しかし,現在の裁判例の考え方は,はっきりと労働者寄りであり,解雇を有効と認めてもらうには非常にハードルが高いし,手続きミスでもあれば解雇はすぐ無効となります。そこで,解雇無効を訴えられたり,組合に乗り込まれたりし,挙げ句の果てに大金を取られてしまうのです。

やめさせたい社員がいるときは,「解雇」に向けたシナリオをしっかりと構築する,そしてなによりも「会社にいなくなってもらうこと」が目的なのですから,「解雇」しなくてもやめてもらうようにすれば良いのです。相手方に退職届を出させれば,「闘わずに勝った」という大勝利です。そのような方法はいくらでも考えられます(決して違法な行為や,いじめで追い出すと言うことではありません。念のため。)。

山を登ったら山頂においしそうなミカンが・・

山を登ったところ,山頂にミカンの木があり,おいしそうなミカンが一個だけなっていました。その者は登山でのどが渇いていてミカンを食べたいと思います。しかし,「食べたら誰かに怒られないか。」「腐っていないか。」「そもそも一個だけあるのはおかしい。きっと,他の人も食べなかったんだ。」「山を下ればミカンはいくらでもある。」などと考えてなかなかミカンに手を出しません。

すると後から登ってきた人が「あー。おいしそうなミカンがある。」といってパッととって食べ,「あーおいしかった。」といって食べてしまいました。

最初に見つけた人が「僕が先にみつけたんだ。」と言っても手遅れです。

ビジネスでもこういう場面はよくあります。こんなとき,ミカンを食べられるのは「素直な子どものこころ」をもて行動している人じゃないかと思います。

私も,こんな場面では,神様に「いただきます。」と言ってぱくっとミカンを食べられる人でありたいと思っています。

 

徒然草より

徒然草は昔から最も好きな古典の一つです。多少の欲も肯定する現世的な人間くささと,達観した思想の絶妙なバランスが心地よく,つい引き込まれて何度も読み返してしまいます。また,兼好法師と対話をしているかのような気持にさせられる文章も心地よいものです。今日のブログでは,私が好きな段,なるほどと思う段を3つ紹介いたします。

双六の上手(第百十段)

かなり有名な段です。双六の上手にその手立てを問うたところ「勝たむと打つべからず。負けじと打つべきなり。」と答えたという部分です。ビジネスでも,少々の負けや損は仕方ないですが,致命傷を負ってしまえばアウトであり再起は非常に困難になります。ビジネスでは,一か八からの一発勝負は避けるのが鉄則でしょう。何事も粘り強く,決して「死なない。」のが大事です。

友とするにわろきもの(第百十七段)

「よき友三つあり。一つは物くるる友,二つは医師,三つには知恵有る友。」と書かれています。なんか身も蓋もない話しのようですが,実際の人付き合いや商売を考えると「現実」であり,私もそのような自分であるように気を付けたいと思います。兼好法師が現代にいたら,弁護士も加えて,よき友四つありとするか,友とするにわろきものに分類するのか,興味があります。

ある大福長者の曰く(第二百十七段)

ある大富豪が富める者になるための心遣いを述べています。その一番目に来るのが,「この世がいつまでも続くと考えるべきであり,決して無常観に陥ってはいけない」というものです。それはまったくその通りであり,「人はどうせ死ぬんだから。」などと考えたら,努力して事業を発展させようなどという気にはとうていなれないでしょう。私も,そのような無常観を言い訳にしてチャレンジや努力を怠らないように十分気をつけたいと考えています。

 

 

 

本当のリスク管理~「五分の見切り」

剣術の試合の際,相手から2メートルも3メートルも離れていれば,相手から斬られることもないですが相手を斬ることもできません。ぎりぎりまで踏み込み五分の見切りで躱して相手を斬るのが達人です。

企業にとっての「リスク管理」も,リスクから遠く離れすぎて「何もしないこと」ではありません。それでは「成果」を挙げるのは困難です。ぎりぎり,相手に斬られる手前まで踏み込んでリスクをとって結果を出すのが本当のリスク管理だと思います。

そして,五分の見切りに失敗したとしても,斬られるのは皮だけにとどめ深手は負わないようにし,すかさず反撃する(場合によっては逃げる)ことまでプランニングしておけば完璧なリスク管理といえるのではないでしょうか。

クレーマー対策

私は,これまで多数のクレーマー対策のご依頼をうけて手がけてきました。また,顧問先様等に対しセミナー等も行っています。以下は,経営者の方の参考にと考え,私の基本的な考えをアップします。なお,クレーマー対策は個別的かつ緻密な対応が必要であるので以下はあくまでも一般論であること,会社側にミスがある場合の正当な抗議等への対応ではなく,あくまでも「不当要求」をするクレーマーの対策であることを予めお断りしておきます。

1 正しく恐れる。

レーマーにであうと,パニックに陥ってしまい,冷静な判断ができなくなりがちです。時に,クレーマーのいうことを聞かないと「会社を潰されてしまう。」ような感覚に陥りがちです。しかし,そのようなことはありえません。冷静に,クレーマーが何をできるのか,最悪な場合で何が起きるかを分析しましょう。

2 クレーマーが強く出るならこちらも強く,軟化してくるならばこちらもそれに合わせる。

強硬なクレームに対し,妥協的な態度で臨んでも,得るところは少ないですし相手がより強硬にでてきます。不当なクレームに対し,下手にでて穏便に納まることはないですし,同じ人や別の人からの同じような要求が出てきます(ある種のネットワークがクレーマー側にもあるようです)。相手が強く出るなら,こちらも強く出る方が良い結果がでます。他方,相手方がまともな話し合いに応じてくるならばそれに冷静に応じればよいだけですし,それを拒絶する理由もありません。ゲーム理論でいうところの「しっぺ返し戦略」はクレーマー対策でも有効です。

3 揚げ足を取られるような隙を見せない。

クレーマー側はこちら側の隙を常に狙っています。例えば,不適切な言葉遣い,ささいな約束をうっかり忘れる等があると,当初のクレームから離れてそこを徹底的につかれて形勢が不利になりますので十分気を付ける必要があります。

4 最終的な解決内容は「説明可能な内容」とする。

不適切な解決をすると,そのこと自体が世間から指弾のネタになりかねず,引き続きのクレーム要因となりかねません。解決内容を,誰に対しても合理的な説明ができるものとする必要があります。

最後に,宣伝にはなりますが,クレーム対応の経験豊富な弁護士に対応を早期に相談し,対応を依頼することも非常に有効です。職業的クレーマーはあくまでも「仕事」としてしているので,コストパフォーマンスの悪いクレームは避けるからです。